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ひかりのように
エネルギーの流れが完全に変わったような気がします。
今またわたしのもとには、ひかりの仲間たちが少しずつ集ってきています。
そこには、Give and Take とか、エネルギー交換というような物理的な反応ではなく
ただ静かな調和があります。
「分かちあう」という言葉とも少し違うのです。
ひかりのように、ただそこに存在していて、過不足なく、ただ「ある」という状態。
ひかりを分けあうということがないように、ひかりの家族たちとの関係は、
十分に「あり」、満たされていますが、
それは、「無限の豊かさ」とか、「分けあう」という次元のものではないのです。
ひかりには、摩擦がありません。
ひかりは独り占めすることはできないし、与えることもできないものだからです。
この関係の中には、ただ静かな調和のみが存在しています。
少し前まで、わたし自身も、「豊かさは無限」という言葉を、誤解してたように思います。
「分かちあえる」豊かさは、エゴの幻想に過ぎません。
この3次元の世界は、エゴという名の思考によって知覚されているからです。
わたしたちは、エゴによる「無限の豊かさ」を夢見て、
「もっとよくなりたい」と願い、努力し続けてきました。
そしてわたしたちの意識の力は、数々の不可能を可能にし、
わたしたちに「豊かさ」を与えてくれました。
それでもまだ、わたしたちの「よくなりたい」という欲は、膨らみ続けます。
「制御を失った原子炉は、わたしたちの意識の象徴なのだ」
あるときわたしは、ある存在からはっきりとこのメッセージを受け取りました。
そして、「足るを知り、感謝して生きる」ことの大切さを思いだしたのでした。
それから仕事を整理し、このメッセージを実践していくことを自分のこれからの使命と定めました。
「足るを知り、感謝して生きる」
今、ここにあるひかりに目を向けはじめると、この瞬間すべてが奇跡にあふれています。