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ひかりのガーデン

ひかりの家族のWeb Magazine

あの日から、20年。

20年。
あの日、生まれたばかりだった赤ちゃんは、成人に。

子どものころは、20年は気の遠くなるような長い時間だと思っていた。
20年前など、大昔のことだというように。

でも、あの日から20年という時間はあっという間だった。
少なくともわたしには。

東京に来るようになったのも、あの日のことがきっかけなのだと思う。

さぁーっというか、ごぉーっというのか、砂が流れていくような音のあと、
どーんと真下に叩き付けられたような感覚があった。

昔住んでいた木造の家は、大きなトラックが通るとガタガタと揺れた。
だから、大きなトラックが通っていったのかと。

わたしがいるのは、鉄筋の大きな建物で、
道路からずっと離れた高い場所なのだと気づいたときには、
うなるような音と、叫び声と、バキバキと壁が割れる音で、部屋のなかは騒然となった。

生まれて初めて体験する地震。
関西に地震は来ないと信じていたわたしは、
なにが起きているのかとっさには理解できなかった。

そして、生まれたばかりで生きるはずだった人や生きたいと願っていた人、
生きることを望まれていた人たちが何人も天に召されて、
子どものときからずっと生きるのがつらいと思い続けていたわたしは、この世に残された。

小さなお子さんを喪ったお母さんをみていると
代われるものなら代わりたいと思ったが、そうならない現実がとても理不尽に思えた。

天災や事故で亡くなった人のことをカルマだとかあれこれいう人もいるけれど、
わたしはそう思わない。
天の国に招き入れられる人は、この世での修行を終えることをゆるされた、
いい人たちなのだ。

わたしはつらいつらいと思うばかりで、この世に生まれてきたことの意味もわからず、
せっかく生をうけたことに対する感謝もできない人間だったから、
もう少し残りなさいとチャンスをもらったのだと思っている。

あの日から、わたしは最悪の状態になってしまったが、
正直なところ、地震の日よりずっと前から、わたしの生活はうまくいっていなかった。
一日のほとんどを不安の中で過ごし、笑って過ごせるどころか、
泣かないですむ日すらなかった。

だけれども、地震が来て完全にわたしは崩れてしまった。
樹が風に揺れている様子をみるだけで足元がふるえ、涙が出て、
なにも手につかなくなった。

自助グループとかセラピーに出会ったのもそれがきっかけだったし、
そういう意味では、あの日はわたしの再生の原点でもある。
わたしたちの仲間うちでは、その最悪な状態を「底つき」と呼ぶ。

最悪で、どうしようもない状態は、蘇生のための出発点でもあるのだ。

あの頃、わたしを助けてくれた仲間は、みんなその「底つき」を体験した人たちで、
飲み過ぎて暴れて警察のお世話になったり、奥さんに逃げられたり、
世間では「どうしようもない」といわれたような人たちだった。
でも不思議とその人たちと一緒にいると落ち着いた。

今までは、なんとか「いい人」でいるために取り繕っていたのが、
その仮面も自尊心とともに粉々にくだけちって、
どうしようもない自分だけが存在していた。

わたしがジタバタするほど、その「どうしようもない」人たちは、
おもしろそうに笑い、「しゃーない(仕方ない)やん。それが自分」と言っていた。

今思えば腹が立ちそうなものだけれど、腹もたたないくらい、
わたしの自我は粉々だったのだろう。

そんなダメな自分をありのまま認める時間は、
どんなセラピーよりも効果的だった。

絵を描くセラピーも、サイコドラマも、催眠も、ひととおり体験した。
それらはドラマティックで、それぞれの時間は楽しかったが、
未熟なわたしには、自分の苦しみの原因が
セラピーで扱うトラウマや、親のせいに思えて、
自分の外に恨みが向かうだけで効果がなかった。

そんなわたしの「暴走」を笑って見守ってくれる人たちの存在が
わたしにはなによりの癒しになった。

そしてどうしようもない自分をありのままに認めるという作業は、
たぶん自分ひとりではできなくて、
また、きちんと生きてきた、立派な先生に見守られてもできないことだったと思う。

あの「底つき」を経験した、「どうしようもない」人たちがそこにいてくれたからこそ、
今のわたしがある。

あれから20年の間に、わたしは無茶で無責任なことをたくさんしてきた。
そして、わたしはほんとうはやるべきことのいくつかをやらずに、今ここに生きている。

それを手放せないでじたばたしていたとき、
仲間のひとりがわたしに言った。

「恩は、その人に返さんでもええねん。できる人にしたげたらええんや」

だから、わたしのところに来てくださった方が、
「生きてきてよかった」と言ってくれたとき、
わたしは過去にわたしがもらった愛をひとつ、宇宙にお返しできたのだと思える。

あの頃わたしを支えてくれた「どうしようもない」人たちは、
今はもうこの世のお役目を終えて天に召されてしまった。

だから今もわたしはときどき、無茶な失敗をするけれど、
聞いてもらえる仲間はもういない。

もともと、いなかったのだと思う。
あのとき、あの場所に神様が降りてきて、
彼らの存在を通してわたしを助けてくださったのだと。

存在としての彼らがこの世にいないことをときどき淋しく思うこともあるけれど、
わたしは彼らがどう言ってくれるのか、
まるで彼らが今ここにいるかのように感じることができる。

あの20年前の「底つき」の日々の思い出とともに。


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